これは、とある掲示板にわたしが書きこませて頂いたものです。
そちらの利用法によると、一定期間経つと古いものから削除されるとのこと。
現状のわたしは、愛猫への想い、関わるもの、もうこれ以上何も消えて欲しくなくて。
少しずつここに移し、記録として残そうと思います。
カキコミにお返事くださった他ユーザーさんに関わる部分は少し手を加えますが、基本原文ままです。
共感してもらえることはもちろんですが、自分が他者に共感することでも、ペットロスの苦しみをやわらげる効果があるそうです。
わたしもたまに他の方たちのカキコミに返信させて頂くと、確かに自分自身の気持ちに気づいたり少し落ち着いたりと変化を感じます。
(*法的に調べると著作権はわたしのもので間違いなさそうです。
でも勉強不足でもしご迷惑かけしてしまう方がいらしたら、ブログ内のお問い合わせからご連絡頂けると助かります。)

想い出の1枚を、最期に貼ってます。
愛猫への想い。後悔ばかりに押しつぶされて。
7月22日、最愛のかわいいかわいいコが旅立ちました。
16歳1ヶ月、まん丸顔のオンニャのコです。
皆さんの書き込みを数日読ませて頂いてました。
独りじゃない想いに少しずつ救われてましたが、どうしても自分の中で大きな悔いがつのり…
わたしの一生消えない痕にしてしまうのは彼女のためにも嫌で、超長文になると思われ心苦しいのですが…
書かせて頂こうと思いました。
わたしが若い頃から一緒にいて、毎日どんな話も目を見つめて聞いてくれ、菩薩のようなありがたい表情で答えてくれるこでした。
泣いてる時は、気づけばただ静かに側にきてくれ。
言葉が話せる人間同士よりも、よほど理解してくれてるとずっと感じてました。
超マイペースで細かいこと気にしない、それでいて猫の自由で気高い女の部分も見え隠れさせ。
自分も目標にしていた、とても魅力的な女子でした。
ペットなんて言葉は違和感でしかなく、種を超えた女同士、同志、という感覚でずっと。
わたしは色んな動物と共に育ってきたけど、終始ずっとこんな感覚で通じ合ってたと感じるのは初めてです。
スコティッシュフォールドのかわいい折れ耳は、骨軟骨異形成症
偶然に偶然が重なった出会い。
生後2ヶ月だというのに、叩き売り同然の値段でそこにいて。
ショップから猫を迎えるのは初めて、スコに無知なわたしはたくさん調べ勉強しました。
原因不明の鼻血を定期的に出しては通院。
そして生後半年で、骨に異常が出始めました。
16年前はいくらネットで情報を探してもほとんど見つけられず、わたしが何件も渡った獣医たちも皆首を傾げて病名すらはっきりしないレベルでした。
骨軟骨異形成症という名前が世間にだんだん認知されてきたのは、ここ数年やっと、という印象です。
成長期はやはり遺伝の病気が出て、肉球の間に骨瘤が増殖し、しっぽもしなやかでなくカチカチで犬のようにブンブン振り。
いっぱい走って遊びたい年頃に、脚4本交互にびっこでうずくまってる事が多く。
痛み止めを飲ませるしかできず。
高いところは当然、低い座卓すらものすごい覚悟決めてやっと上る。
ものすごい激痛なはずだ、とどの医師にも言われながら、でもとにかくマイペースで無理しないコ。
さまざまな病気を乗り越えてきた。今回だってきっと…!
肥満細胞腫で片耳たぶ切除しても、原因不明で突然胃腸全く動かず重度の脱水になっても乗り越え、いつだってかわいい顔で毎日わたしを見てくれた。
今回の検査で年齢的に慢性腎臓病、心筋症のなり始めと言われたけど飲み始めた薬で徐々に落ち着いて過ごしてってくれると信じてた。
その時、まだ体重も体力もあった。
口の中痛くて食が細くなり、でも食べたいと言い続けてくれた。
昔から本当に空気読めるこ、コロナ禍でわたしが4月に休職し始めた数日後に不調→検査。
そのままわたしは休みを取ることにし、ずっと一緒に過ごさせてくれた。
今の職丸7年ずっと忙しく、休むと言いやすい初めてのタイミングで。
長年信頼してきた主治医のもと、老いた体に無理させない方向でベスト尽くしてたつもりが、段々医師とのズレを感じ。
後々思えば猫大好きゆえ自然に任せるスタンスと思われる医師、だからって家族のわたしに選択肢を何もくれなかった。
焦りでたくさん調べ、自己判断でごはんや栄養摂取の介助を始めたけどどんどん痩せて弱って。。
命にはかえられない。勇気を出してセカンドオピニオン。
遅かったのではと悔いもあるけど、そこの医師に想いの丈を話せて親身で納得できると思える言葉もくださり。
彼女が最後少し楽になれたかもと思える手助けもできた。
それら含め当然悔いはいくつもあるけど、ひとつどうしても消化出来そうにない悔いがあって。。
どうしてもどうしても、悔やみきれない想い。
寝たきりになった最後の日、最後の時に、ずっとずっと側にはいたけど、、
ゆっくりのしゃっくりのような様子が始まった時、その日の朝医師に言われた痙攣がついにか…と勘違いして、痙攣で抱いたら体辛いんじゃないか?と可哀想でたまらないし怖くて、あまり触れずに抱かずにただすぐ側に座って着いてた。
たまたま寸前に、いつもと逆半身を下にして寝かせてしまったから、顔は向こうを向かせたまま。
ゆっくりのしゃっくりは、あのこの後ろ頭をみてる状態で少し経ってしまい。
自分で判断できず夫に、顔見られるいつもの向きに変えてよいか聞き、変えようと抱くと首がだらんと…
そのまま変えたけど、呼吸止まってるように見えやっと胸に手をあてたら、小さくピクンと最後の鼓動のような。
すぐ夫を呼ぶと、わたしと入れ替わって顔を近づけ彼女の顔を両手で包みこみ。
後で聞いたけど、その時に瞳孔がゆっくり開いたそう。
きっともう限界超えてたのに夫の帰りを夜まで待ち、帰宅した夫の目をいつものように見つめて。
その数分後に突然痙攣のようになり…
まさかそれが最後の、とは思わなかったわたしは、あんなに抱っこ好きで甘え上手でいつも目もじっと見てくれるコを、最後の最後に抱いてあげなかった。。
わたしの体温や包まれるぬくもりで、少しでも安心できただろう状態にしてあげられなかった。。
自分で決められず素人の夫の言うまま、息をひきとったあとも抱いてやらずにソッと寝せたままにして、ただただ全身をなでてあげるしかできぬまま。。
体調悪くなってから抱かれるのが辛いようですぐ離して欲しがってたけど、旅立つ数時間前に久々珍しく2時間程たっぷり抱かせてくれてた。
でも、わたしは最後の最後だって、それこそ抱いてあげたいとずっと思って16年きた。
でもこの3ヶ月半介護しながらも、そんな日はまだ受け入れられない、わたしが諦めるなどとんでもない、考えないようにして。
だから余計に、いざとなった時に出来なかったのでは。
夫は彼女と5年一緒にいるとはいえ、わたしが自分で気をしっかり持って自分で決めれば、この大きな後悔はなかったのに。
痛い辛い体から離れて自由に楽になっただろうと思える反面、お骨になった今も、こだわってしまってる自分がいます。
最後に抱きしめて、いつもみたいに顔と顔を寄せ合って話しかけて安心させて見送ってあげられなかった。。
それを恨むコじゃないと思えるのに、でも肝心の最後の最後で自分のベストを尽くしてあげられなかった思いがつのり。
いくら考えても延々とぐるぐる廻ってる繰り返しから抜けられずにいます。
人生最後の、どんな時よりきっと不安でさみしい瞬間に、ひとりきりにしてしまったのではと。。
わたし、すぐ隣にいたというのに。

「アタシ、いつだってマイペース得意にゃの。」
かわいいカノジョの名前は まる。
生まれもったのは、愛嬌のかたまり。
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