ペットロス渦中のわたしが、今の気持ちを書くことにした理由です↓
最初の記事はこちら↓
(※とある掲示板でのやり取りなので、他のユーザーさんへの返信も含んでたりします。
違和感あるとこはお察しください。
でも全容は伝わる内容なので、その辺は気にせず今はとにかく記していきます。)

想い出の1枚を、最後に貼ってます。
この世界でのかわいい器は。
昨日隣県の実家へ行き、大切なコのお骨を埋葬してきました。
旅立って11日目、自宅でかわいいお骨の袋をみるたび、毎日天に現実を認めさせられていました。
魂はもう、かわいいかわいい器から自由になっているというのに。
あのコ自身がそれを手放すのを決めた後だというのに。
そこに未練を残すのは単なる人間の考え方、純粋なあのコはその形にいちいちこだわらないと思えてならない。
生前から、わたしがそのかわいい器に執着してしまわないよう考えていました。
そう考えてきたのに、毎日見ては撫で、話しかけ、号泣し、胸が切り裂かれ。
繰り返すうちに強烈に心の奥深いところに刻まれていくだろう事を、恐れていました。
それは逆に、本当の自分は人一倍こだわるタイプだと自覚してるからこそ。
ずっと手元に置いておくと決める方を否定する気持ちなど、全くないんです。
むしろその気持ちが、すごくよくわかるんです。
なので尚のこと、長い時が過ぎないうちにと日々考えていました。
思いもしなかった祖父の提案
ど田舎の一軒家、歴代のコたちが眠る庭にだったら、毎日祖父や両親、弟やあのコがかつて遊んだ小型犬も健在でいてくれるし、わたし自身が安心できる思いで決めました。
16年間いつもわたしと一緒に関東以北を何度も引っ越している途中に、身内たちと暮らすこともあり皆に可愛がってもらい、介護中は皆で心配してくれ最期の報告の時は共に悲しんでくれました。
実際行ってみると90近い祖父だけにはまだ話が通っておらず、涙をこらえながら経緯を説明。
すると祖父いわく、祖母が晩年こどものように可愛がっていたマルチーズが旅立ったとき、祖母のお墓の隣に埋葬したとのこと。
わたしとしては、まさかの想定外で驚きました。
お骨を手放したくない人へ。
大切なコが旅立ってから色々な本やブログを読み、かの動物のお坊さんの本も読み返していました。
(個人的には、宗教に関わらず多くの方が共感でき、だいぶ気持ちが救われる本だと思います。)
お坊さんの本では、お骨はちゃんと返すように。
かと言って、歴史の1ページに過ぎない人間の一生分くらいの間、もしどうしてもと一緒に過ごしたところでその後に返しても許されるだろう、とも。
そして、人間のお墓に動物を…とは現段階ではなかなか認められない世の中、でも近い将来いずれは世間の考え方も変化していくだろうと。
わたしは実家の庭に、が自分の気持ち的に現段階でできる最善だと納得し、向かいました。
ですが、まさか祖母の隣に…の可能性が用意されてたとは。
かわいいコを喪ったとき妹が、「おばあちゃんが絶対かわいがってくれるから、安心して大丈夫だよ」と言ってくれたのを思い出しました。
○○さんが、おばあちゃんのお膝で…と言ってくださったのもすごく心に染みてました。
昨日祖父と話して、それらがつながった思いでした。
まんまるい、すべすべの石
とはいえ、皆と庭にいて欲しいと思い続けて向かったのですぐには切り替えられず、しばらく自分の中で想いを巡らせていました。
『まぁ、ひとまず大好きなばあちゃんのお墓に行ってみよう。』
普段通らない裏道を行ってみたら、今まで思ってたよりすごく近くて。
ちょうどお盆前だし、急遽お墓周りの草刈りしようと思い。
するとすぐに、おばあちゃんの愛犬が眠る印と思える石をみつけて。
ここにだったら、わたしの大切なコも。と思えました。
お墓をきれいにし終わる頃、母がどこかから大きな石を持ってきてくれました。
それは、あのコのまん丸いかわいい顔を思い出させる、すべすべのまん丸い石でした。
わたしの両親、夫に頭を撫でられ、最後にわたしの手に戻ってきたかわいい小さなお骨を、おばあちゃんと愛犬の隣に寝かせることができました。
ほんの少しずつでいい、途中で立ち止まったっていい。
ここからわたしの悲しみ、苦しみはどう形を変えていくのか、自分でも先のことは全く予想がつきません。
ですがただただ、自分の心にあらがわず正直に素直に少しずつ進んでいきたいと思ってます。
わたしはたまたま周りに共感してくれるひと達がいて、、本当に感謝してます。
もちろんそうじゃないひと達とも、幾人もすれ違いました。
でもそういうひとからは、自ら心を閉じて無になりそっと離れました。
自分の心が受け取りたいモノだけを選びとって、わがままに過ごしてきました。
それでいいと思うし、今のわたしはむしろそうしないと生きられないんだから。
1番近くにいるヒトこそ、意外と。。
正直、1番近くにいるはずの夫が1番遠くに感じてその言葉に傷つく時も度々あります。
だけど彼のあのコへの愛情がすごく深かったのはわたしも充分にわかってる、元々口下手で言葉足らずの性格、合理的に考え人前で泣いてはいけないと育ってきた性別の違いなどなど考えると。
感情が最優先で生きてるわたしとは表現の仕方は違うけど、自分と違うからといって哀しみの重さを量って比べられるものでもなく少ないともいえない。
それはわたしが納得のいく言葉を尽くして共感してもらえるのが1番だとは思うけど、一字一句に過敏になってる自分を自覚して、今は自分に都合のいい解釈に変換して受け取るようにしてます。
とにかく無理はしませんできません。
ゆえに、またこちらで吐き出させて頂けたら。。
ひとまずひとつの区切りを果たせたこと、自分のために書きたかったです。
この場があることに本当に救われてます。
ありがとうございます。
普段はちびの片想いで、まる側はつかず離れずの一定距離を保ち暮らしてた。
なのにやはりストーブ前ってさ、わだかまりとは無縁のねこ的聖地なのね。