我が家のヒトとネコが試した商品レビュー
を正直に書きためてます。

◆猫たちの病院経験談やペットロスも…◆

君は永遠に、大切すぎる宝物。*6【タブーなんて無い】

この記事は約5分で読めます。

夕暮れ時の猫

 

ペットロス渦中のわたしが、今の気持ちを書くことにした理由です↓

最初の記事はこちら↓

 

(※とある掲示板でのやり取りなので、他のユーザーさんへの返信も含んでたりします。
違和感あるとこはお察しください。
でも全容は伝わる内容なので、その辺は気にせず今はとにかく記していきます。)

 

スポンサーリンク

ほんのちょっとの大きな一歩

一瞬ですが、ひとつ変化したことがありました。
夕べ2週間が経ち、初めて写真のあのコを見られたんです。
ほんの数枚だけですが…。

今までは目に入らないよう、スマホのデータ開くのを避けてました。
わたしの頭と心の中にいる姿だけで充分にいっぱいで、目から入る画像は耐えられませんでした。
悲しすぎてかわいそうすぎて辛すぎて。
後悔にも押しつぶされすぎていて。
目に入りそうになると、自分が壊れてしまう予感にこわくて閉じていました。

夕べはその気なくたまたま開いてしまい、、
でもそのまま見て頭を撫でて話しかけられました。

最期の前日と前々日の、極限を超えてまでがんばってる姿でした。
けど、いつものあのコらしい優しくマイペースな目もしてました。

遺された者たち

夕べその少し前に母が、今日また行ってきたよとお墓の画像を送ってくれてました。
自分で撮ってこなかった事が、ちょうど気になってたところでした。
そのおかげでもしかしたら、気持ちに少し一区切りできたのもあるかも知れません。

まるで太陽のようで皆に愛されたおばあちゃんと愛犬Pちゃんと一緒の、3にんの写真。
まんまるの石。
静かな優しさと穏やかな空間。

その1枚が手元にあるだけで、自分の何かがほんの少しでも前を向き始めたような気も。
それまでわたしは、真後ろしか向けずにいたと気付きました。
お墓って、遺された者たちのためにあるってホントなんですね。

君は永遠に、大切すぎる宝物。*5【しるし】
この世界でのかわいい器は。昨日隣県の実家へ行き、大切なコのお骨を埋葬してきました。旅立って11日目、自宅でかわいいお骨の袋をみるたび、毎日天に現実を認めさせられていました。魂はもう、かわいいかわいい器から自由になっているというのに。あのコ自身がそれを手放すのを決めた後だというのに…

写真も見られないわたしだけど。

まだ全然、自分から生前のあのコの画像を開くことはできません。

喪ってすぐに、号泣しながらも画像や動画整理を始められる方たち、ブログ更新できる方たちとの違いは何なのだろう。
自分も荒療治ではないけど、無理にでもそうした方が少しでも楽になれるだろうか。
と考え模索しながら、でもやっぱり開けずにここまできました。

わたし自身にとってのタイミングは、今ここから、だったんだなぁと気付きました。

このまま一生あのコの写真を見てあげられなかったら…
まるであのコの存在を否定して、自分が楽になろうだなんて…
そう悩み続けなくても、時間とタイミングが少しずつゆっくり進ませてくれるんですね。

タブーなんてない。ごめんねって言っていい。

自分を抑え込まずに素直に、ごめんね、ありがとう、だいすきだよ、かわいいコ、って言い続けてきました。

当初は「ごめんね」はそぐわない、感謝の言葉だけにしないと心配させてしまう、安心して旅立てないというような情報ばかり頭にあって、意識してしまってたけど。
でも謝りたいことがたくさんあるのは確かで。

少しの間我慢してたけど、でもやっぱり伝えたいことはあのコの姿がまだあるうちに全部耳元で話しかけ伝えました。
声に出して具体的にたくさん謝りました。
わたしの言葉をいつもじっと聞いて理解してくれるコだと知ってるし、信頼関係が強くあったから余計に。

ヒトそれぞれ、かわいい家族たちとの関係もそれぞれ千差万別。
世間体とか宗教的なものとか様々な思いがあるのは当然で。

納得のもとなら何かに縛られるのもアリだし、どんな風でもとにかく自分がかわいいコにしてあげたい事は心のままに、と思いました。
きっとそこを含め色んなこと我慢しないようにしたのも、自分のためになっている気がします。

自分の中での儀式をこだわっていい。
心がしたい風にしていい。
自分に都合がいい情報だけを胸にとどめといたらいい。

それが、少しずつ後悔をとかして昇華していけるひとつなんだろうなぁと感じています。

わたしの救いは、抱きしめられる形あるモノ。

わたしの場合はですが、ちょうどいい大きさで抱きしめられる猫型のぬいぐるみが、ずっと隣にいてくれてます。

触れられ話しかけられるものがあるだけでも、心にとってはかなり大きいのかなとも感じてます。
(ペットロスとはまた違うけど、動物を飼えないお年寄りへの研究成果があること、昔聞いた記憶があります)

苦しい、悲しい、いつになっても大粒の涙が尽きない、、
それって、それほど愛してるからこそだもの。。

ひとつ間違いなく断言できるのは、わたし達がこんなに苦しいまでの裏返しにある深い深い愛情を受けてきたコたちが、いま恨んだり辛い思い出が胸にあるはずないですよね。

最期の辛さの何億倍も、楽しい嬉しい幸せな時間があった。
単純な時間の長さばかりではなくて。
すぐにケロッとしてたあのコを想うと、深さの方に重きを置いてその時時を一生懸命生きてたのは明らかです。

とはいえヒト側は、涙枯れても尚、いつまでだって我慢しないで泣きましょうね。
科学的な方面でも、涙の癒やし効果は証明されてますし…ね。

窓から顔出すワンコ

次の記事から数回は、”返信編”になります。
わたしが他の方の書き込みに返信させて頂いたものをご紹介します。

果てしなく永遠に続くのだろうかと思えるこの苦しみ、哀しみ。。
誰かに共感してもらうことはもちろんですが、自分が誰かに共感することも同じく効果があるそうです。


返信編へ、つづく。

コメント

タイトルとURLをコピーしました